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2023年6月30日金曜日

そういえば、どうでもいいような話だけど。

最近はYoutubeばっかり見てしまって、広告の時間に何かして戻ってくるっていう昔のテレビのみかたみたいなことしてるなぁ。
とりあえずそんな話は置いておいて、昆虫系かクイズノックか、KBRか、飛行機関連かのチャンネルの動画をヘビロテしていて、たまたま見ていたKBRの動画で、「日本とアメリカで発音が違いすぎる国」を見ていて、何度も「JAPAN=日本ね」と発言があった。
そういえばなんでだろうって思って色々調べた結果、いろんな説があることが分かったので、自分なりのまとめを書いてみたよ。

概要
紆余曲折あり、国名がはっきりと発布されたことがなく、表記ゆれがひどく、表現も様々だった。国内でNIHON or NIPPONで定着した時期は、日本国政府を設立した際に、国民が国のことを日本と認識した可能性がある。ただし書物には「日本書紀」が7世紀ごろに出されており、国として公式には、室町時代から対外的に「日本」と称していたとされ、1730年には地図に「JAPAN」と記載されている。特に1920年代頃の国際連合加盟時には「JAPAN」と表記されて、JAPANと紹介されていた。

内容
とりあえず、硬い文章はもう打ちたくないので、ざっとまとめる。
対外的表記だと
倭国(Wōguó、わーくぉ):57年 → 日本書紀:7世紀 →日本国使:702年→ JAPONICI:1727年 (おそらくこのころには完全に対外的に「日本」として伝えられている様子)
(派生:9世紀ごろ、東方かなたの黄金の土地をالواق واق‎(わくわく))
(派生2:中国語で日本と書いてあるとりーべんと読む)
っていう分岐があったんだと思う。

地図から見ると

にあるように、1300年頃の東方見聞録が出たころの地図には「Cipangu or CIPANG(ジパング)」
1560年ごろからはIAPAMorIAPANの表記。

てなことをいろいろと考えると、
一世紀ころの倭国がひろがったわくわくにつながるだろうし、7世紀までに訂正されて「日本」って言いたかったものはリーベンからモンゴル、ウイグル、古キリル、アケシャスまたはモンゴル、ギリシャ語を通じてヨーロッパに移動していく中で、意味が通じればいい程度の広がり方をしていたのかなと推察した。
んで、船が発達する13世紀ころの人が実際に近くまで来た結果、丁度東南アジア系の言語において「日本」を読み上げたときにCipanguみたいな風に聞こえたんだろうなってすごく思った。
実際に渡来するようになった15世紀ごろにIAPONICUM(おそらくにっぽんが変化したんだろうなって思う)17世紀後半にはJAPAM(やぱむ:こっちはにほんが変化したんじゃないかなって思う)みたいな表記になって、今のJAPANにつながるのだろうなと推測したよ。
日本としても、明治時代より前に諸外国にJAPANと認識されているものを変えるつもりはなかったんだろうなって思うねェ。
なんなら「日本」といつのまにか共通認識で名乗ってるけど、いつ定めたなんていうのが正直わからないのを対外的に使うのもなってなるだろうしね。

これらは自分なりの理解メモだから、そこそこ丁寧にまとめたアブストラクト見たほうが正解だと思うze


こんかいは気になった日本=JAPANの変遷。
まとめはすごく雑なのは、これは仕事が終わって帰宅したのがAM2時半とかだだからだよ。許して!

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