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自転車のタイヤの話題。意外性のないみんなが使っている良タイヤ、それがGrandPrix 4000S II

Continental GrandPrix 4000 II このタイヤはレース用クリンチャータイヤのなかでもしかしたら最も人気があり、みんながわりと使っているタイヤなのかもしれない。 だからこそ意外性がなく、このタイヤと比べられてしまうのではないだろうか・・・・? ...

2014年5月24日土曜日

失敗が続くと

人間だけでなくたいていの動物は失敗から学ぶことができる。これを学習と呼ぶ。人間は失敗を予測して行動を行える現在のところ唯一の動物である。その上でもわざと予測されている失敗に対してある程度の対策をしつつ、避けられない失敗を経験し、更なる対策法を学ぶことができるのである。
失敗という出来事そのものは非常に大切ということがわかる。
ここで、「失敗にもめげず」という言葉を出してみよう。
この言葉は更なる対策法を見出すために失敗を重ねても底から学びとろうという非常に前向きな言葉である。同じ失敗に対していろいろな索を練りつつ重なる失敗に対して非常に有効な言葉なのだ。ここで言われる失敗は、傍目から見れば同じ失敗なのだが、本人の中では同じ失敗は二度とないという意識が持てている。
これが、同じ失敗だと認識してしまうことが起きると、とたんに人間の心は折れてしまう。
同じ場面、さけることのできない場面において、失敗が起きると、「もう二度とするか」とおもう。だが、人間その結果は覚えていてもその過程についてのインパクトが少ない。さらに言うならば、その場面になってはじめて気がつく程度まで過程はその人にとって重要でないという認識がなされてしまう。
「失敗した」という結果を強く評価しすぎ、その評価内容ではなくさらにその評価の結果を記憶してしまい、結局過程について認識が欠如しがちとなるのだ。
これは人のコーピング能力を下げてしまい、結果として経験による学習そのものが失われるのだ。
そのため、何かしら同じような失敗を繰り返してしまっている人、そうおもっている人がいれば、その人にとって自分自身の回顧そのものが強化因子とはならず、内部因子として影響されてしまうのである。
それに気がついた時点で周りがどう行動するかや、自己的な変化がなされなければ結局悪い方向に流れることとなる。

2014年5月21日水曜日

先生ほど

学校の先生という立場ほど雑なことを雑談で話しても責任を持たなくて良い職業はないだろう。
特に、大学付教授であればなおさらなのではないだろうか。政治家などがパーティーでアイスブレーキング用にスピーチをすると、その内容は全国紙レベルで批判されることが多い。安部総理しかり福田さんしかり麻生さんしかりである。

完全に内輪の話となってしまうのであるが、A教授の授業があった。その授業は新カリキュラムに合わせたもので、うまい具合のつながりがなく、位置づけが微妙であり教授自身も乗り気ではなかった。そのためかAの雑談が多い。もともと話をすすめるためであったり、寝ている人を起こすために雑談をする場合が多いのだが、今回の話はとある統計ソフトの説明で、危険率の話があったときだった。
株をやっている知り合いがいて、なおかつ株をやり続けている親がいるそうだった。
まぁ、落ち着けたかった場所は「株をしている人はリスクを見極めるために会社の全てを知っておく必要があるんだ」というところだったらしい。
そこで出てきたのはパソコンの話。
「パソコンの画面を3つならべてさ、パソコンも3台あるんだよ」ということであった。さて、パソコンを3台つかっていったいなにをするのだろうか。マーケット監視用というだけであれば、1台のパソコンに3枚の画面があれば十分である。(一般的なトレードソフトの場合)
パソコン3台?画面が独立しているならマウスムーブは相当やりにくいし、HIの切り替えがめんどうだろうに・・・・と少しでもそういう情態のパソコンを触ったことのあるひとならわかるであろう。

そしてそもそも、毎日トレードしているという時点でただのデイトレである。
デイトレさんたちには悪いが、取引している会社の事情を全て知り尽くしている人はほぼいない。証券会社ですら調査部門の人間でない限りほとんど情報として扱うことはできないだろう。親がやっている株っていうのは昔ながらの信用取引系のトレードということなので、デイトレのようなハイリスクの取引を行っているわけではないため、あえてパソコンの話をそこで持ってこないほうが着地点にスマートにいけたと考えられる。

そのときにB君にAが同意を求めたため話がさらに進んでしまったのだった。
Bは「俺のツレにもいるんすけど、部屋がパソコンだらけになってましたね」

ここで、多少理解できる人はいるかもしれない。
「この二人のなかでは モニタ=パソコン」という認識なのではないかと。
ちなみにここでいうとAは情報系の教授なのである。わざとでもない限り、モニタのことをパソコンといってはならないのではないだろうか。
そして、株取引について一般的なことを語るのならば、デイトレと個人取引の違いを踏まえたうえでしゃべってほしかった。あともうひとつ。わからない話を引き伸ばすのはやめてください。

そんなかんじでテキトーなことを話されてしまったことを長文でつぶやくのであった

2014年5月14日水曜日

ロードバイクと旅行

主に自転車乗りにとってはロードバイクと旅行はきっても切り離せない。

移動手段としての自転車であり、またその移動を妨げるのも自転車である。

一見不可解なことではあるが、実は本当なのである。

一般的な生活を送っているものであれば、長期休暇をどうやってとったとしても、最後にはどうしても時間制限がついてまわる。自転車・・・ここではロードバイクに主にしてしゃべるのだが、コレにのっているときは基本的に移動手段として利用している。
この移動手段であるロードバイクが足を引っ張るのである。
これが家が近いのならいいだろう。自転車にのって全力疾走すればどうにかなる。しかし、家が遠く離れていて、さすがにどうしようもないとき。あるいはキャノンボールに大失敗して目的地に到着しても帰る体力・時間がないときである。
この場合、輪行という手段をとらざるを得ない。
そのときにロードバイクは邪魔者扱いを受ける。特に日本では、そのようなものに対応をするような交通機関が電車しかなく、その電車でも非常に邪魔者となる。そして、なにより荷物となる輪行袋を持っていなければ入ることすらできないのである。
では、持っていないときはどうするか。
以前であればゴミ袋にできるだけコンパクトにした上で入れていた。しかし、ゴミを電車で運ぶのはマナー違反である。其れと同様に、ゴミ袋に自転車を入れて運ぶのもマナー違反となってきている。
つまり最終的には自転車は運べないということである。
ではどうするか?


自力で帰宅できないときの最終手段は、ヤマトに頼むことである。
ヤマトでは梱包サービスはないものの、梱包した自転車を運んでくれるサービスがある。もちろん人はおいてけぼりなので自分は自力で帰るしかない。
つまり、ヤマトの営業所まで梱包した上で持っていくのが最良手段ともいえる。

旅行をする手段に自転車を選ぶときは、キャノンボールのような旅行ではなくゆったりとした日程を組んだ上で、最悪どうするかを決定する必要もあるのだろう。そうではければ自転車に縛られる旅行になる。そういう意味で切り離すことができないのだ。