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自転車のタイヤの話題。意外性のないみんなが使っている良タイヤ、それがGrandPrix 4000S II

Continental GrandPrix 4000 II このタイヤはレース用クリンチャータイヤのなかでもしかしたら最も人気があり、みんながわりと使っているタイヤなのかもしれない。 だからこそ意外性がなく、このタイヤと比べられてしまうのではないだろうか・・・・? ...

2015年7月5日日曜日

何ヶ月ぶりか?

最近全く更新が無かったのに突然更新をし始める。
そんなブログです。

いや、単純に社畜やってたので、忙しすぎてまず利便性の少ないこのブログの更新作業というのはほとんどできなかったっていうだけ。
おかげ?で、先月の電気代金、驚きの二千円台。(いつも6千円台行くのに)
いわゆる基本料っていうのが1500円で、使うとそこに加算されるのでほとんどつかってないっていう意味です。


さて、最近はというと、動画編集が頓挫してみたり(そのままあげればいいのにね)
財布盗まれてみたり
オービスひっかかってみたり
旅行にいけなかったり
原付こわれてみたり

なんなんだろうねー厄年なのかな?






厄年でした。

そんなものもあることをすっかり忘れていたので厄払いなんていっておらず。
本当に痛い目にあいすぎておりまする。

2015年4月27日月曜日

すっごくすっごくひまなので

最近NEET化しました。
労働意欲がなくなっているので、モチベーション保つだけでも大変。
そんなときにここで独り言です。
ということでまた一時的に更新増えますよ。

2015年3月3日火曜日

医療者としての会話はつらいと思っていてもそれを飲み込んで話すことも必要(である調)

余命ということばを医者が使うとき、そこには希望がこもっている。


最近、医者ははっきりと「あなたの余命は5年ですね」のようにいわない。言う医者もいるだろうけど、たいていの場合、「ですが・・・」と続いているだろう。
「余命」と聞いた患者はその期間が短ければ短いほど絶望し、そして老い先の短さに悔い、非常に大きなショックを受けることは間違いが無いからである。人間、ショックを受けることで現在の病状が悪化することは”病は気から”といわれるように稀ではないので、ショックを受けることかもしれないというのをあらかじめ断ることが多い。
この「余命」を宣告する時期というのは限られていて、一つはがん診断時で、もう一つはがん治療が終了し、腫瘍サイズがX-pでは視認されず、マーカーが(-)ならば寛解といわれる時期にくる。その寛解時に今後の展開についての説明時で、さらにそのほかは、再発時と臨死期間際である。
臨死間際であると、余命ではなく「この夜が山場」とか「家族を電話でよぼう」という死亡予告に近い形になるが、この4つだ。

各々で内容は異なってはくるが、発言する側は確率で言っているためほとんど統計に基づいた生存論だ。そう、死亡論ではなく生存論である。余命、つまり残された時間でできることは何か、整理することは何かということを患者は考える。医者は、患者のよりよい方向性を患者が決めるための情報を提示し、決めさせるという仕事もある。何せ治療だけが医療者の全てではない。

ここで医療者と枠を広げる。

余命を宣告された患者はショックをうけ、そしてそれにさいなまれ続ける。
余命というのはそういう意味が大きい。全てではない。だがその大きさは日に日に増してくる。それだけを考えているとただ日々が無駄になってしまう。それを無駄にしないように拾って、気づいてもらうというのが医療者全体の考え方だ。
特に終末期へと入った患者は死に対してどのような選択をするのか迫られる。それを医療者が強要してはならない。もちろん、患者側からいくら「決めてくれ」といわれてもだ。患者と医療者は小さい関係ではない。長い付き合いをする中で家族よりも信頼関係が高まる事もあるし、それは少なくない。
その信頼関係の中だからこそ、余命という言葉は非常につらい。そのことを患者が悩んでいるとすれば、早く解決してあげたいという気持ちは一入である。
だが、医療者はつらい、悲しいということを伝える前に医療者の側として情報を提供しなければならない。それは、一線を越えないという意味でもあり、医療者としての義務でもある。主観的情報だけによらず、客観的な情報を意識させ、悲観的になりすぎないように、あるいは楽観的になり過ぎないようにコーチングしてゆく機能こそが重要な役目だということだ。

2015年2月27日金曜日

通行止めとか閉鎖

そういえば割と最近通行止めとかにぶち当たることあったなぁと、自分が画像に収めた通行止めやら閉鎖の画像をちょっとまとめてみた。



わりとあるな(;´∀`)
でも、他にも冬季通行止めやら、積雪による通行止め、災害復旧により通行止めとかそういうの割と遭遇している。

ちなみに、ここ25年間(全ての道ができてからまだ25年しか経っていない)で、安濃ダム→伊賀越→笠取山→青山高原の最短ルートである尾根沿いの道が全て使えたのはたった3年に満たない・・・orz


伊賀越は2年に一度不通になっている(ここ3年はまともに開いていないが)し、
伊賀越ルートから163→笠取山へのルートは3年に一度は崩れるし、自衛隊の車両が重いと、残念なことになるし。そもそも、半年に数日、大型クレーンが作業のために1日がかりで通過するから・・・
笠鳥山から青山高原へは、改修工事があったときに不通だったし、今年は崩れてて通行不能だし!


超絶古い山な紀伊山脈は本当にどこでも崩れちゃっているのです。

走破しようにもどこかが不通という状況・・・まぁ、自然災害へはお金で対処するしかないですしね。

2015年2月19日木曜日

親子関係。

親というのは面白い人ですよね。

一般的にこんな親はいやだという最低ラインを突っ走っているのに、時々気分で話を変えるところとか。
将来子供を持つ人たちは、きっと親からこんなことされたから良かった、とかそういうのを受け継いで、育てていくのだろう。
そして、反面教師のような存在でもあり、憧れを抱くようなモデルとして親がいたのかもしれない。
だから、諦めないようにだけはしてほしいですよね。

まぁ、隣の芝生は青いという言葉があるように、いつも友達の親が親だったらいいのになぁと思っていたのだけど、残念ながら実家の親は誰からも「お前の親いいなぁ」とかそういうのだけは一切無かった。。
なんででしょうね。まぁ、理由なんて一つなんだろうけど。

親から言われてきたことは、簡略化すると当たり前のことであって、やらなければならないことはおさえてある。まぁ特別そこが悪いわけではない。
問題があるのは、言っていることではなくて、TPOという概念はことさらあるわけはないし(いつでもどこでも)、まずは状況判断が非常に悪い。
たとえば、「片付けろ」というセリフを言うとする。
この場合、言葉だけを見るなら部屋が汚いのは明らかなのだが、まずは、片付ける場所が無い状況でもこのセリフが出てくる。
片付ける場所を確保しようとすると、「それは俺の持ち物だから捨ててはいけない」という言葉が飛んでくる。
次に、捨てるものを捨てようとすると「お前の部屋はゴミ溜め」である。
仕方ないので、箱につめるだけつめると、「お前、どうせ箱に入れただけだろ」の台詞のあとに、罵詈雑言。内容をまとめると「どうせまた引っ張り出す」
ちなみに「片付けろ」という時間帯はいつもバラバラ。たとえばの話だが、学校に行く直前に「片付けろ」と言ってから、学校に行こうとすると「片付けもできないのか」ちなみにこの間10分。
もう一つ言うと、片づけしているときに入ってきて「静かに片付けもできないのか」である。
これを5歳のころから言われ続けているのですばらしい。これで正しく育つと思っているのである。
いわゆる何をやってもダメというやつ。
最後の最後に、どうにかこうにか片付けると一言。「お前は片付けもできないダメ人間」→罵詈雑言→部屋の中で暴れる
なので、言うこと聞くことができなくなるのはわかりますかね。

いくつでも紹介できるのだけど、とりあえずもう一つ。
字が壊滅的に汚いのはよく分かっていることの一つで、昔から直したいと思っているのだけども、これに関して、口だけしか出さないのは親である。資本も時間も提供はしてくれません。
まぁ、これについては小学校のある先生のせいということもいえるんだけど。というかあれが一番悪化した原因。

言い分では「悪い遺伝子と悪い遺伝子が合わさってできてるんだから悪い遺伝子でしかない」ということらしい。
なにが言いたいかというと「お前がこの家に生まれてきたのが間違い」ということらしい。
すべての責任を人に擦り付ける親の鏡ですね。生まれてきたことも人のせいにし始めたら、もう終わりですよね。
短所を指摘するのはいいんだけど、短所しかない人間に仕立て上げるのが非常にうまいので、プロ市民が政権批判をするのと同じで、長所は全く無いそうです。
自分ができることは全て人より優れていると考えていることもあり、自慢話が始まると、無視していても気づかれないので、よく無視しています。
まず、一言でいいことを1時間かけて罵詈雑言に変える能力はすばらしく、その反面、重要なこと、大事なことはすべて終わった後、起こったあとに話される。まぁ、親の頭の中ではいつまでも子供だというのは分かるのですが。
こういうことは、親となる人たちはしてはいけませんね。
子供の尊厳をないがしろにする人たちというのは歴史的に見ても、いい死に方はしていないことや、転覆させられた人たちが多いことは分かっていることです。
あとは、子供の遊びには”我慢”させることは必要ですが、”取り上げる”のは良くないです。満足感や達成感そのものが欠如していく原因になるので、「今日はココまで」というラインを決めて我慢させる、再びできることを予期させる、取引させるということが必要なんですよね。
そういうことばかりが積み重なると、基本的に親子の信頼関係や家族の信頼関係というのは一切無くなっていきます。
あるのは”お金の束縛”だけ。生まれながらの借金ということですな。(どこの江戸時代だよ)


こんな親子作らないでほしいですね。


あ、あと一つ言うのであれば、
自分の意見は間違えていても曲げない。曲げるときはいつからいつまで間違えていて、詳しくどこが間違えていたか、一般的にか、主観的にか、そういう訂正の仕方を見せるのも親なんです。
人の話を聞いていなくて、話し合った次の日に違うことを言っていたりすると、信頼関係はまぁありませんね。
まぁ、仕事の関係よりシビアな気はします。責任が軽いという意味合いにおいては気楽なのかもしれませんが、ある程度の緊張感と困ったときに相談できるという関係をその上に成り立たせるためにはどうするべきかというのは、そういう細かいところから始まっているのです。
とまぁ、愚痴交えて、親子関係というのが鼻から壊滅的な家族のお話でした。
これを見て、子供ができたときに、こんな子供を作ってはいけないのです。

人前で喧嘩をするのはまぁとめませんが、子供はそれをどう見ているか。
目線って怖いですよ~あ、喧嘩は喧嘩でも、一方的ないい逃げ&周りで聞いていても理不尽な、たとえば生まれを責めたり、●●がだめなのもお前のせい、と責任転嫁。とか。


まぁ、もし関係が壊れたらお金だけは援助するといいですよ。
初めからお金だけ援助するのはダメですが。関係が崩れてからの援助ほど、ありがたく感じるものはありません。
それくらいのことはしたほうがいいというだけで、初めからそれ狙いはやめたほうがいいですね。

2015年2月18日水曜日

試験(´・ω・)

いや~先人はすばらしいですね。
後悔先に立たずという言葉。

この言葉を今回も身をもって知ることになりましたね。

医療系の学問の場合、一般大学と異なり、必須の教科が非常にたくさんあり、一年以降は全て必須単位で、しかも連動している単位であることが多く、一つ落すだけで次の単位もとることができないなどの問題がありますね。
なので、大学在学中に所得する単位に偏りを出すことはできず、勤労学生にとっては非常に厳しい世界。

そんな中に身をおくことを決めたのが自分であっても、ここまでくると後悔が訪れます。

特に概論的な問題について問われると、なかなか出てこない。LDかと思うレベルで。
もともと、出力(思い出し行為)がうまくできないので、考えることで回避してきたものの、今回は惨敗。専門用語もそうだけど、英単語なり数式なり、全部自分の言葉に置き換えて、覚えやすいことを思い出していくということをやり続けていたのですよ。
医学用語の大半は生理学や解剖学を理解していればどうにかなることが多く、チャンクとして分解しやすいのですが、文学的なものも含めて”文字”を覚えることは本当にチャンク分解できずにそのまま覚えるしかないので、非常に非常に難しい・・・
まぁ、おかげで理解する、言い換える、どうにか説明するっていうのは長けましたけどね。


まぁ、そんな言い訳はおいておいて。
自分なりに理解したことを全部否定されて、うまいこといかないまま今回終わりまして。

セルフエスティームはガタオチ。
自信をつけさせてくれるはずの勉強があだとなり、ただの時間の無駄にしか感じなくなって、非常に後悔中。
この道に進むことを選んだことも、もっと違う勉強法をやる余力が無かったことも。
うまくいかないときはとことんまでうまくいかないので、本当に、本当に後悔しっぱなしなんですよね。


まぁ、もともと評判が悪い先生ですので、期待することそのものが間違いなのですが、どうやって有用な話を引き出すかというのはいつも思います。


ちなみに自分でLD疑いを持つようになったのは、人の顔を覚えられるのに、人の名前が全く覚えられないことが記憶があるところからずっと続いているのと、興味があることでも、ある特定のことが全く覚えられないということ、あとは3チャンク以上か12桁以上の数字はどうがんばっても覚えられないというのが昔からあったとこから。問題なのは。「特定のこと」というのは、本当にランダムで、その部分だけどれだけがんばっても正確に思い出せない、本当に虫食いのような状態でイメージしてもらえるとうれしいのですが、そういうかんじ。
認識ができているので認知障害ではなく、本当に思い出せないという出力問題なんですよねぇ。


ぁーこういうこと考えていると、無駄なこと(自殺とか)考え始めるので、あんまり考えないようにしよう

2015年2月16日月曜日

そういえば。

そういえば、テスト勉強する直前にこんな動画をあげていたよっと。
需要あるかなーと思ってちょっとがんばったけど、ぜんぜん需要無かったミタイダネー



※文字読み上げソフトを利用しています。苦手な人は注意。



しかも日本のカルデラ限定の紹介をしているしね。
海外のカルデラって以外と紹介したいところが多くて、基本的に検索が大変なのにさらに追い討ちかけるような出来事になりかねないということで、今回はナシで作ったよ。





地理学や地質学用語のカルデラだけど、こちら、本職ではありんせん。
Sience of...とか読めるけど(ふつう、大学の図書館においてあるしね。)、単科大学だから実は専門図書も少なくて困ってたぐらいには本職ではないね~


でも、実際、生化学系とか化学系、医学系のことはよく動画になっているのに、そういうことがあんまり動画として上がっていないというか、そもそも検索ヒット数0件っていう悲しいお知らせが届いたので、作るしかなかった。
ちなみに、動画としてまとめてあるものとしてはたぶん世界でも100例以下だと思う。(カルデラの語源がスペイン語なのでもちろんスペインや地質学の一番進んでいるイタリア語で検索してないからわからないけども。)



いやー伸びてほしい。伸びてほしいなぁ。





↓そのとき思ったこと。原発の話題なので、コレについてもしもコメントしようと少しでも思ったらバックスペース押して頂戴。


動画中で原発のこと扱っている番組からの画像が映ってるけど、「百害あって一理なし」みたいなことをその番組で言うのね。

まぁ、あんまりそういうことを平気で言う人って好きじゃないのさ。

原発の雇用は?
廃炉する手順を誰がするの?
誰がお金払うの?
残った燃料は?

っていう問題を一切しゃべらずに、リスクだけを言い続けるっていうのは本当に好きじゃないよ。

端的にいって即廃炉にすべきっていうのであれば、端的にいって、地球から人類が滅亡するほうがよっぽど環境にいいわけだし。
それと同じくらい端的な話を言ってるわけで、もっとも効率よく廃炉にする方向性に対する意見を述べたほうがいいんじゃないかい?
プロセス無視して結果だけ評価することや、結果だけを予期するっていうのはあまりにも端的な話だよね~

まぁ実際、現在の社会全体が結果評価が全てで、プロセス評価はされない。まぁコレは子供の教育についても同じなんだがな。

批判したがりなんで、これ以上批判し始めたらキリがなくなってきてしまうよっと。



まぁ、ひねくれた目線の中立論だからぐにゃぐにゃしているけど、どっちより?って言われてしまえば「廃炉にすべき」のほう。
でも、薫陶を受けた人たちのように、「即時廃炉!」とか言わない。ンなことできるわけネェだろっていう話。








(「薫陶を受ける」っていやみで使ってるんだからわかれよ・・・?)

2015年2月5日木曜日

好きな人は

突然だけど、今の野党の弁論を聞いていると、なんでこんな人たちが政治してるんだろ・・・とか思ってしまうのだけど、昔からだったわ。

イギリスの会議とかのほうがめっちゃ建設的な話が出ることが多いし、カナダ議会のほうがマシだった。
まぁ、平和な方向という意味では日本って平和なんだけど。

それはそうと、政治のことを言うだけでなくて仕事とか運営をする人たちが言い争いするときって、必ず批判しかしていないよね。
批判するだけして言いっぱなしっていうのがね。言いっぱなしなのは嫌いなんで、それこそ責任をとれよと思うんだけど、その責任を取るっていうのが単にまた批判を重ねるだけっていうのが一番腹立つ。
まぁ、全てにおいて肯定的意見を持てとは言わないから、批判をするのなら自分の意見を述べて、それを検討させるとか、方向修正の提案をしていくような建設的な話をしないとだめだろとおもうんだよねぇ。

そこで国会の話が出てくるんだけど、よく「建設的な話を。。。」というのが出てくるんだけど、











全く建設的な話・・・・できてないよね・・・・うん。



愚痴のために頭を回したり、失言をさせるために頭を回したり、全てが利己的な頭をお持ちの人たちの集まりなのは本当に残念なんですよね。


建設的な話をしたいのであれば、議員としての自分の話を出すのではなくて、もっと本当に一般の人からのヒアリングを返すような、偏っている人だけの意見ではない面を反映させたことを言いましょうよ。


靖国の話もそうですし、(2015年2月4日の細○議員の話とか、辻○の話とか。)原発の問題もそうですよね。






まぁ、この人は議員の資格がないと思って、わざと入れないようにしていても、参議院から当選したり、人の支持を得ることがうまいだけに別の場所で当選してみたりしてるんですよねぇ。
国民が「コイツダメダ」ってなっても、議員を引き摺り下ろすことはほぼ不可能だからほんとねぇ。



よく日本人の学力は大学入試までの努力だけで決まるって言われているけど、それと一緒だよねぇ。政治家っていうか国会議員の野党人員とか特に。元与党でも野党に成り下がったとたん仕事が雑になりすぎるとことかあるし。(自民)
与党になっても野党になっても方向性が残念な人たちがいたり(民主)
するんですよねぇ


本当に、ヘタなバラエティ番組より国会中継の予算会議見るほうが面白いですわ。ほんと。面白いって思うと同時に、クールダウンするけどね。いろいろ。
アホみたいな質問をしている人たちが建設的な話をしたいとか、するとか言っていることを考えると、こんな人は嫌いにしかならないなと思うわけですよ。

というわけで、タイトルに帰結しましたのでおしまい