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自転車のタイヤの話題。意外性のないみんなが使っている良タイヤ、それがGrandPrix 4000S II

Continental GrandPrix 4000 II このタイヤはレース用クリンチャータイヤのなかでもしかしたら最も人気があり、みんながわりと使っているタイヤなのかもしれない。 だからこそ意外性がなく、このタイヤと比べられてしまうのではないだろうか・・・・? ...

2014年6月30日月曜日

イラァ

さすがに限界もある。

人前で言っていいことの限界値は割かし低いとおもう。
それを乗り越えて感情に訴えかけるのは簡単だが、もちろん逆なでするのも簡単なわけだ。


つまるところ、逆なでされたような気分になっているわけだが、理由なんてものはしょーもない。限界値が低かっただけのことなので、悪気はないのかもしれない。


とかくウザくて無駄授業をやっていると評判のあの教授のことだが、今回は
イライラしていただけだったので、スルースキル発動してもよかった。なでなければ。なでてきたらするーするわけにもいかない。かってにほぞんされる野で変換がうまくいかないのだが気にしないように。


残念ながら積もっていたストレスが爆発しかけたといっておく。連投してるのからわかるようにフラストレーションがたまりすぎていて仕方がないのだ。だいたい野問題点として、あの世代は人へのかかわり方というのが一番雑な世代である。簡単に言えば一番察せない人たちが集まっている。よかったのかわるかったのか、その後の廊下で悪態をつきまくったおかげデイライラしているところまでは復活し、内容までは思い出さないようにと脳みその昨日をシャットダウンしようとしている。
ああ、ねむい


イラァとしたのはいいが忘れてしまってはしかたない。もういいや。なんか今日は鬱みたいな状態じゃないし、まぁいいや って思えるだけいっかな。

感情鈍麻ってのは

そうそう。忘れていた
鬱っていうのの病状のひとつに感情鈍麻ってのがある。
鈍くなるんだ。
たとえば親しい人が死んだとする。「ああ、死んだ」たったこれだけの感情しか出ない。なきたくてもなけない。つらくなろうとしても、これ以上つらくなれない。うれしくも、かなしくも、なーんともない。ただの流れ。喪失することの意味が別のところにあるような感覚なのだ。
怒りも反感も、表出することはほとんどない。だから「死ね」とか言う言葉を使われた日には、大体死ぬ一歩手前にもなる。恐怖も怒りも憤りもないから、反抗しない。命令に従う。目の前の予定を完遂しようとする。たとえば無理な注文でも感情鈍麻になっていると、断ることはできない。そもそも本質的に断れない人が多いんだが、脅迫感が一切ないたのみごとでもその人にとっては目標になる。
自分を突き動かすためには目標が必要となるが、できるだけ実現可能性の高いものであればあるほどその目標に対する補足度は上がる。もちろん質問は一切なし。言われたことだけをやる。感情鈍麻になっている人が「死んだほうがいいですよね」とか言い出したとき、それは彼が楽になりたいからとか、逃げたいからというのではなく、”実現可能性の高い”目標の一つであるからだ。必死で止めなければ大体数日中にやらかす。
必死で止めると、まぁだいたい6割はとまるんじゃないだろうか。
鈍麻状態になっている人が考えるプロセスは簡単にいうと、直結型の思考プロセスになる。「自分」を排除した作業域には”時間”と”達成チェックポイント”と”ゴール”がある。スタート地点は同じ。そこから一番早く目標を達成するかという思考プロセスであるといっても寡言ではない。
目標はゴールになるが、これを説明するとしたら・・・・うつ病を患っている人が工場で単純作業をやっていました。その人は目の前の完成している製品の入ったケースを、左手20mのところにある別のライン(A)に運ぼうとしています。安全に運ぶためには右手10mほどのところ(B)にある台車を持ってくるほうがいいでしょう。ケースの高さは1m程度。持ち上げると目の前が見えません。ヨコに歩けば簡単ですが、足元にはグラインダーや電導ドリル、かなどこ、坩堝などの危険物がさまざま。ポートカーなどが往来する場所でもあります。察しているひとは多いと思いますが、この人はわざわざBには行きません。Aに直接もっていきます。これにってアクシデントが起こるわけです。
一般の人ならインシデントを起こさないために台車をとりにいったり、周りの整理をしたりしますが、鬱の人は、Aにさっさともっていく ということしか頭にないのです。事故で犠牲になる”自分”への認識が薄まり、恐怖という感情が無くなっている鬱状態のときは、常に自分を意識する必要があるというわけ。
さて、人生についてだが、達成チェックポイントが少ないのは「生きること」と「死ぬこと」のどっちが多いだろうか。もちろん愚問だが、生きることのほうがつらい。だからこそ、鬱の人にたいして「死ぬ」という選択肢の危うさを心を受け止めながら諭す必要があるのだ。
と、だれもこのことを理解したうえで話を聴いてくれないし相談にも乗ってくれないし、相談したとしても一切受け付けられないのでここでかくのであった。HAHAHA
感情鈍麻のプロセスがわかっただろうか
フェイスブックに乗せたら総批判食らうだろうからあそこには書かない。
ってことでここにわーーっと書こう。
とりあえず、一言先に言うと、ひとつだけ気に食わない授業が学校で入っている。
正直言って、8コマ分無駄な授業をさせられている。いや、単に無駄という意味ではない。
有意義に使えるはずの時間の一部がそのコマにとられているせいで、前の日から数えて8コマ連続で授業がある。コレは何を意味するのか。それは印刷の時間がないという答えになる。
グラフまで作って家で印刷しようとすると、基本的に朝の7時8時からになる。ウチの印刷機は遅い。きれいだが。遅い。
学校のは白黒であるため、わかりにくい。だが、学校ではパソコンは基本的に取り合いになる。つまり、印刷は不可能というわけである。それなのに、その有意義に印刷に使うための時間が、そのコマに撮られている。授業の内容に入る前にこのことを書いたのは、もちろん授業の内容が非常に、それはもうSillyで、どうしようもない。
まだこれだったら、この時間をアルバイトでもしたほうがお金にもなるし、ある意味で勉強になる。この授業のためにレポートをいちいちかいて、起きている必要があるというのか。もちろんのことである。
ココで習うのはいわゆる社会の常識。
あまりにも扱いがひどいのではないだろうか。しかも学校側は、この授業を4年間通してやろうとしている。あまりにもBoolsitな話だ。何がおかしいか。別に学外から来ている講師のことを批判するつもりはない。立派にいろいろな人に教えてきたのであろう。この授業の内容で教える内容については、簡単に言うならば「働く」ことに対する意欲や向上心を持たせるための授業なのだ。我々のように働くことをいわばほぼ保障されている人たちが、資格を取った後働かなくなるのは惜しいという考えからだろうが、この授業をやったとしても、その意識は一切といっていいほど変わらないだろう。逆に言うならば、この授業をやることで働くことに対する意欲が減少することもある。「なぜこのようなことを学んでまで働く必要があるのか」と。社会の常識だから知っておく必要があるんだよというのであれば、病院で最低限知っておいたほうがいい知識を与えていくほうがまだマシなのではなかろうか。ラウンド時の受け持ちとか、BSを測るときにさっさとやる方法とか、電話対応時にどうするかとかだ。
よっぽど対応力がつく。
なんせ、毎回レポートを書かされているわけだが、言葉を書くことがさらにましていやになってきたのだから仕方がない。これはもちろん自分の正確もあるし、ほかの人はどうかわからん。これだけは確実にいえるというのはみんな「楽しくない」「楽しみでない」「早く終われ」とおもっていることだろう。この授業に対して何も考えていない人も多く、この授業中にほかの事をしている人のほうが圧倒的に多い。俺は絶対にそういうことができない性分だから、みんなと違って進みも遅い。
だから俺はこの授業が大嫌いなのである。4年生にもなってこの授業のためにテストがひとつ増えることを考えると、さらに頭の痛い話だ。
看護について研究ができるというのに、なぜこのようなことをせにゃならんのだとなり、最終的に興味までそがれそうで、厭々受けているという現状。

あー


つまらんな。ほんまに

2014年6月22日日曜日

夏のよていち

さて、結局寝れずに頭蓋内興奮がおちつきまして、ちょうどいいあんばいになったころなので、時期尚早ですが、夏休みの計画をたてることにしますた。
東京あたりに今年は何回か出没しようかなと。あと、大阪方面、京都方面にも出る予定。
三重→東京のリベンジというか、のこしてきてしまった静岡→東京編をクリアしないと。
またたろさんにもあいたいなぁ。
ハニーにもあいたいし、もひとりのお友達にもあいたいし。いやそれがメインとかいえないけど。

兎に角、人の輸送費より荷物の輸送費がかかるかも・・・というのが難点。郵便局とどめで受け取ろうか・・・
ヤマト便で、160kgぶんの容積換算重量による価格となる。(コレ重要


だいたいバイク1台3600円(三重→東京)。外を見て運んでくれるかどうかはしらん。もちろんついでに言うと、中身は思いっきりしっかりとした包装しないとね。あ、もちろん箱にいれないといけない・・・?箱にいれると、+20Kgぶんされて4000円分くらいになる。まぁ、箱が8kgもあるんじゃぁね・・・ってことで意外と重たいことがわかったのだった。中にザックか何かいれておいて、1~2週間分の服でもつめこんでおけば、高速バス代くらいの値段になるし、1.5回分の往復をしたってことになるからいっか。



てか、バイクをシーコンのバイクケースにつっこんで、バスに黙って運べば・・・・
あ、高速バスは受け入れてくれそうにないな。いつもどうせ貨物スペースガラアキなのに・・・
ということで、夏の予定は決まった(おい

これくらい完全にいきを抜かないと、ちょっとやってらんない・・・・というか、勉強するにしてもやせないとどうしようもないや。北海道に飛ばすときが一番めんどうだなぁ。

だんだん波のサイクルが早くなってきた。いいかんじなのかまだわからん。今日のバイト如何によっては、このままずるずると・・・いや、そんなことはない。みてないようだから書いちゃうけど、単純に、あのシリコンブレスレットつけてるかなーとかいうすごい小さい悩みがあったのだけは覚えているんだけど、この一週間のイライラが結局落ち着くころにはこんなふうに未来的な思考に変わってる。(のかな?)

2014年6月21日土曜日

個人的メモ

・何もできていないことにイライラしている。
・面倒くさい
・さらにイライラする
・時々何にイライラしているかわからないけど、イライラしている
・目をつぶると首をつる姿が目に浮かぶ。
・目をつぶるといろんなシチュエーションで首をつっている
・何も考えられない
・感情が出ない
・無意識に歯を食いしばっている
・目を開けているとどうでもいいことが頭をめぐる。
・眠いけど寝るのがいやだ

生きるってやっぱりつらいねぇ。

劣等感ばっかりかんじているひとからすると、大体生きていることがつらいときがある。
そゆときは誰かにそばにいてほしいんだけど、基本的には近くには誰もいないことが多い。
生きるっていうのは、考えを変えると死に方である。
どんな風な死に方をするか。もちろん一人で、誰かが片付けるのだが、嫌々片付けられるか、屍をそっと抱き上げてくれる、あるいは花いっぱいの棺のなかに骨が埋められるか、それはあなたの選択しだいだろう。
生きているときがつらいとき、俺はよく・・・具体的に言えば、10分間勉強の手が進まなかったり、幸せな時間をすごしていてふと気がついたとき、悶々とすごしているときは常に死にたくなる。
とりあえず、今すぐ楽になりたい。楽に慣れるかはしらないけれど、自分自身の生命活動を停止させて冷たくなりたいと考える。
そのときは大体8割くらい、現実的な状況を考える。目の前に課題があるとか、目の前の幸せを逃したくないとか、来年はあれがあるだの、奨学金をかりているからだの。そんなことで思いとどめられる。後の人が”困るから”という理由だからだ。
つまり、自分の生き方は、一番最後に誰にも迷惑がかからなくなったとき、あるいは最低限の迷惑しかかからなくなったときに”死”を選んで生命活動に終止符を打つ。そうきめている。言い換えるならばそういう生き方となったときにだ。大体自殺をするひとの部屋はきれいだ。あるいはその人なりに片付けてある。
片付ける合間に次の日になって死に切れなかった人もなかにはいる。俺がそうとかいえないが。
という前おきはもう置かれたのでいいとして、劣等感というのはいつかんじるかわからない恐怖がある。正直、あとから思い返せば、考え方を変えるだけで異なるふうになるのにもかかわらず、感じる。
抑うつ状態であるときは特に劣等感を感じやすく、被害妄想的になりやすい。ここまでわかっているのに、精神が安定しないときは困る。
もちろん片付ける気力もなくなってしまうのでずるずると生きる。たとえロープがあっても片づけが優先だ。(どうしてかはわからない)
もしも、部屋の中に何もない状態、かつ借金とかも一切ない状態で劣等感を感じてしまったら、残念ながら統計上で3万人弱いる自殺者の一人になる。楽しませられない人だとか、会話が浮かばないとか、時間を使わせてしまっているとか、勉強ができないとか、細かいことで言えば、あ、いま話をさえぎってしまった。あ、勘違いしてしまった、あ、思い出せない・・・日付間違えた・・・全部に劣等感を感じるのだ。
体がおもうように動かない状態にも常にイライラしている。やりたいことができないように、その劣等感を感じなくさせることもできない。すこし脳の反応が良くなってきて、脳神経細胞の興奮が賦活してくると、そのような考えが少し少なくなり、持ち上がってきた状態になるとやっと自分の死に方を思い出す。ああ、そうだったと。
そして目の前の課題に取り組むために”生きる”のだ。
俺は、そうなるのを知っているから、落ち込みはじめから落ち込んでいるじょうたいでは、決断をしない。できるというわけでもないが。
だから常にあの時なんで死ななかったんだろうとか、タイミングを逃した・・・と感じ続ける。だけどいいのだ。決断ができないのはいつものことだから。
おもうような死に方ができないのならあえて決断を下す必要はない。生きることはしに続けることとは違うから、理想の死のためにつらいとかんじながらも生き続ける。



さっ、勉強の続きやろ。頭の中は2割くらい出せたきがする。同じ悩みを持っている人が見つけられたらいいけれど。