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2014年6月30日月曜日

感情鈍麻ってのは

そうそう。忘れていた
鬱っていうのの病状のひとつに感情鈍麻ってのがある。
鈍くなるんだ。
たとえば親しい人が死んだとする。「ああ、死んだ」たったこれだけの感情しか出ない。なきたくてもなけない。つらくなろうとしても、これ以上つらくなれない。うれしくも、かなしくも、なーんともない。ただの流れ。喪失することの意味が別のところにあるような感覚なのだ。
怒りも反感も、表出することはほとんどない。だから「死ね」とか言う言葉を使われた日には、大体死ぬ一歩手前にもなる。恐怖も怒りも憤りもないから、反抗しない。命令に従う。目の前の予定を完遂しようとする。たとえば無理な注文でも感情鈍麻になっていると、断ることはできない。そもそも本質的に断れない人が多いんだが、脅迫感が一切ないたのみごとでもその人にとっては目標になる。
自分を突き動かすためには目標が必要となるが、できるだけ実現可能性の高いものであればあるほどその目標に対する補足度は上がる。もちろん質問は一切なし。言われたことだけをやる。感情鈍麻になっている人が「死んだほうがいいですよね」とか言い出したとき、それは彼が楽になりたいからとか、逃げたいからというのではなく、”実現可能性の高い”目標の一つであるからだ。必死で止めなければ大体数日中にやらかす。
必死で止めると、まぁだいたい6割はとまるんじゃないだろうか。
鈍麻状態になっている人が考えるプロセスは簡単にいうと、直結型の思考プロセスになる。「自分」を排除した作業域には”時間”と”達成チェックポイント”と”ゴール”がある。スタート地点は同じ。そこから一番早く目標を達成するかという思考プロセスであるといっても寡言ではない。
目標はゴールになるが、これを説明するとしたら・・・・うつ病を患っている人が工場で単純作業をやっていました。その人は目の前の完成している製品の入ったケースを、左手20mのところにある別のライン(A)に運ぼうとしています。安全に運ぶためには右手10mほどのところ(B)にある台車を持ってくるほうがいいでしょう。ケースの高さは1m程度。持ち上げると目の前が見えません。ヨコに歩けば簡単ですが、足元にはグラインダーや電導ドリル、かなどこ、坩堝などの危険物がさまざま。ポートカーなどが往来する場所でもあります。察しているひとは多いと思いますが、この人はわざわざBには行きません。Aに直接もっていきます。これにってアクシデントが起こるわけです。
一般の人ならインシデントを起こさないために台車をとりにいったり、周りの整理をしたりしますが、鬱の人は、Aにさっさともっていく ということしか頭にないのです。事故で犠牲になる”自分”への認識が薄まり、恐怖という感情が無くなっている鬱状態のときは、常に自分を意識する必要があるというわけ。
さて、人生についてだが、達成チェックポイントが少ないのは「生きること」と「死ぬこと」のどっちが多いだろうか。もちろん愚問だが、生きることのほうがつらい。だからこそ、鬱の人にたいして「死ぬ」という選択肢の危うさを心を受け止めながら諭す必要があるのだ。
と、だれもこのことを理解したうえで話を聴いてくれないし相談にも乗ってくれないし、相談したとしても一切受け付けられないのでここでかくのであった。HAHAHA
感情鈍麻のプロセスがわかっただろうか

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