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2014年5月24日土曜日

失敗が続くと

人間だけでなくたいていの動物は失敗から学ぶことができる。これを学習と呼ぶ。人間は失敗を予測して行動を行える現在のところ唯一の動物である。その上でもわざと予測されている失敗に対してある程度の対策をしつつ、避けられない失敗を経験し、更なる対策法を学ぶことができるのである。
失敗という出来事そのものは非常に大切ということがわかる。
ここで、「失敗にもめげず」という言葉を出してみよう。
この言葉は更なる対策法を見出すために失敗を重ねても底から学びとろうという非常に前向きな言葉である。同じ失敗に対していろいろな索を練りつつ重なる失敗に対して非常に有効な言葉なのだ。ここで言われる失敗は、傍目から見れば同じ失敗なのだが、本人の中では同じ失敗は二度とないという意識が持てている。
これが、同じ失敗だと認識してしまうことが起きると、とたんに人間の心は折れてしまう。
同じ場面、さけることのできない場面において、失敗が起きると、「もう二度とするか」とおもう。だが、人間その結果は覚えていてもその過程についてのインパクトが少ない。さらに言うならば、その場面になってはじめて気がつく程度まで過程はその人にとって重要でないという認識がなされてしまう。
「失敗した」という結果を強く評価しすぎ、その評価内容ではなくさらにその評価の結果を記憶してしまい、結局過程について認識が欠如しがちとなるのだ。
これは人のコーピング能力を下げてしまい、結果として経験による学習そのものが失われるのだ。
そのため、何かしら同じような失敗を繰り返してしまっている人、そうおもっている人がいれば、その人にとって自分自身の回顧そのものが強化因子とはならず、内部因子として影響されてしまうのである。
それに気がついた時点で周りがどう行動するかや、自己的な変化がなされなければ結局悪い方向に流れることとなる。

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