いったことある場所

注目の投稿

クッソ放置してたブログですがリハビリ的な投稿をまたまた。 写真編集も滞り、嫁からも「パソコン遅い(怒)私のノートパソコンのほうが早いよ!」と言われ、まだまだゲームも現役で動いていたし、なんやかんやで問題もなく動作しているからいいやと思っていたパソコンをようやく「あ、遅いんだ」っ...

2015年4月27日月曜日

すっごくすっごくひまなので

最近NEET化しました。
労働意欲がなくなっているので、モチベーション保つだけでも大変。
そんなときにここで独り言です。
ということでまた一時的に更新増えますよ。

2015年3月3日火曜日

医療者としての会話はつらいと思っていてもそれを飲み込んで話すことも必要(である調)

余命ということばを医者が使うとき、そこには希望がこもっている。


最近、医者ははっきりと「あなたの余命は5年ですね」のようにいわない。言う医者もいるだろうけど、たいていの場合、「ですが・・・」と続いているだろう。
「余命」と聞いた患者はその期間が短ければ短いほど絶望し、そして老い先の短さに悔い、非常に大きなショックを受けることは間違いが無いからである。人間、ショックを受けることで現在の病状が悪化することは”病は気から”といわれるように稀ではないので、ショックを受けることかもしれないというのをあらかじめ断ることが多い。
この「余命」を宣告する時期というのは限られていて、一つはがん診断時で、もう一つはがん治療が終了し、腫瘍サイズがX-pでは視認されず、マーカーが(-)ならば寛解といわれる時期にくる。その寛解時に今後の展開についての説明時で、さらにそのほかは、再発時と臨死期間際である。
臨死間際であると、余命ではなく「この夜が山場」とか「家族を電話でよぼう」という死亡予告に近い形になるが、この4つだ。

各々で内容は異なってはくるが、発言する側は確率で言っているためほとんど統計に基づいた生存論だ。そう、死亡論ではなく生存論である。余命、つまり残された時間でできることは何か、整理することは何かということを患者は考える。医者は、患者のよりよい方向性を患者が決めるための情報を提示し、決めさせるという仕事もある。何せ治療だけが医療者の全てではない。

ここで医療者と枠を広げる。

余命を宣告された患者はショックをうけ、そしてそれにさいなまれ続ける。
余命というのはそういう意味が大きい。全てではない。だがその大きさは日に日に増してくる。それだけを考えているとただ日々が無駄になってしまう。それを無駄にしないように拾って、気づいてもらうというのが医療者全体の考え方だ。
特に終末期へと入った患者は死に対してどのような選択をするのか迫られる。それを医療者が強要してはならない。もちろん、患者側からいくら「決めてくれ」といわれてもだ。患者と医療者は小さい関係ではない。長い付き合いをする中で家族よりも信頼関係が高まる事もあるし、それは少なくない。
その信頼関係の中だからこそ、余命という言葉は非常につらい。そのことを患者が悩んでいるとすれば、早く解決してあげたいという気持ちは一入である。
だが、医療者はつらい、悲しいということを伝える前に医療者の側として情報を提供しなければならない。それは、一線を越えないという意味でもあり、医療者としての義務でもある。主観的情報だけによらず、客観的な情報を意識させ、悲観的になりすぎないように、あるいは楽観的になり過ぎないようにコーチングしてゆく機能こそが重要な役目だということだ。

2015年2月27日金曜日

通行止めとか閉鎖

そういえば割と最近通行止めとかにぶち当たることあったなぁと、自分が画像に収めた通行止めやら閉鎖の画像をちょっとまとめてみた。



わりとあるな(;´∀`)
でも、他にも冬季通行止めやら、積雪による通行止め、災害復旧により通行止めとかそういうの割と遭遇している。

ちなみに、ここ25年間(全ての道ができてからまだ25年しか経っていない)で、安濃ダム→伊賀越→笠取山→青山高原の最短ルートである尾根沿いの道が全て使えたのはたった3年に満たない・・・orz


伊賀越は2年に一度不通になっている(ここ3年はまともに開いていないが)し、
伊賀越ルートから163→笠取山へのルートは3年に一度は崩れるし、自衛隊の車両が重いと、残念なことになるし。そもそも、半年に数日、大型クレーンが作業のために1日がかりで通過するから・・・
笠鳥山から青山高原へは、改修工事があったときに不通だったし、今年は崩れてて通行不能だし!


超絶古い山な紀伊山脈は本当にどこでも崩れちゃっているのです。

走破しようにもどこかが不通という状況・・・まぁ、自然災害へはお金で対処するしかないですしね。

2015年2月19日木曜日

親子関係。

親というのは面白い人ですよね。

一般的にこんな親はいやだという最低ラインを突っ走っているのに、時々気分で話を変えるところとか。
将来子供を持つ人たちは、きっと親からこんなことされたから良かった、とかそういうのを受け継いで、育てていくのだろう。
そして、反面教師のような存在でもあり、憧れを抱くようなモデルとして親がいたのかもしれない。
だから、諦めないようにだけはしてほしいですよね。

まぁ、隣の芝生は青いという言葉があるように、いつも友達の親が親だったらいいのになぁと思っていたのだけど、残念ながら実家の親は誰からも「お前の親いいなぁ」とかそういうのだけは一切無かった。。
なんででしょうね。まぁ、理由なんて一つなんだろうけど。

親から言われてきたことは、簡略化すると当たり前のことであって、やらなければならないことはおさえてある。まぁ特別そこが悪いわけではない。
問題があるのは、言っていることではなくて、TPOという概念はことさらあるわけはないし(いつでもどこでも)、まずは状況判断が非常に悪い。
たとえば、「片付けろ」というセリフを言うとする。
この場合、言葉だけを見るなら部屋が汚いのは明らかなのだが、まずは、片付ける場所が無い状況でもこのセリフが出てくる。
片付ける場所を確保しようとすると、「それは俺の持ち物だから捨ててはいけない」という言葉が飛んでくる。
次に、捨てるものを捨てようとすると「お前の部屋はゴミ溜め」である。
仕方ないので、箱につめるだけつめると、「お前、どうせ箱に入れただけだろ」の台詞のあとに、罵詈雑言。内容をまとめると「どうせまた引っ張り出す」
ちなみに「片付けろ」という時間帯はいつもバラバラ。たとえばの話だが、学校に行く直前に「片付けろ」と言ってから、学校に行こうとすると「片付けもできないのか」ちなみにこの間10分。
もう一つ言うと、片づけしているときに入ってきて「静かに片付けもできないのか」である。
これを5歳のころから言われ続けているのですばらしい。これで正しく育つと思っているのである。
いわゆる何をやってもダメというやつ。
最後の最後に、どうにかこうにか片付けると一言。「お前は片付けもできないダメ人間」→罵詈雑言→部屋の中で暴れる
なので、言うこと聞くことができなくなるのはわかりますかね。

いくつでも紹介できるのだけど、とりあえずもう一つ。
字が壊滅的に汚いのはよく分かっていることの一つで、昔から直したいと思っているのだけども、これに関して、口だけしか出さないのは親である。資本も時間も提供はしてくれません。
まぁ、これについては小学校のある先生のせいということもいえるんだけど。というかあれが一番悪化した原因。

言い分では「悪い遺伝子と悪い遺伝子が合わさってできてるんだから悪い遺伝子でしかない」ということらしい。
なにが言いたいかというと「お前がこの家に生まれてきたのが間違い」ということらしい。
すべての責任を人に擦り付ける親の鏡ですね。生まれてきたことも人のせいにし始めたら、もう終わりですよね。
短所を指摘するのはいいんだけど、短所しかない人間に仕立て上げるのが非常にうまいので、プロ市民が政権批判をするのと同じで、長所は全く無いそうです。
自分ができることは全て人より優れていると考えていることもあり、自慢話が始まると、無視していても気づかれないので、よく無視しています。
まず、一言でいいことを1時間かけて罵詈雑言に変える能力はすばらしく、その反面、重要なこと、大事なことはすべて終わった後、起こったあとに話される。まぁ、親の頭の中ではいつまでも子供だというのは分かるのですが。
こういうことは、親となる人たちはしてはいけませんね。
子供の尊厳をないがしろにする人たちというのは歴史的に見ても、いい死に方はしていないことや、転覆させられた人たちが多いことは分かっていることです。
あとは、子供の遊びには”我慢”させることは必要ですが、”取り上げる”のは良くないです。満足感や達成感そのものが欠如していく原因になるので、「今日はココまで」というラインを決めて我慢させる、再びできることを予期させる、取引させるということが必要なんですよね。
そういうことばかりが積み重なると、基本的に親子の信頼関係や家族の信頼関係というのは一切無くなっていきます。
あるのは”お金の束縛”だけ。生まれながらの借金ということですな。(どこの江戸時代だよ)


こんな親子作らないでほしいですね。


あ、あと一つ言うのであれば、
自分の意見は間違えていても曲げない。曲げるときはいつからいつまで間違えていて、詳しくどこが間違えていたか、一般的にか、主観的にか、そういう訂正の仕方を見せるのも親なんです。
人の話を聞いていなくて、話し合った次の日に違うことを言っていたりすると、信頼関係はまぁありませんね。
まぁ、仕事の関係よりシビアな気はします。責任が軽いという意味合いにおいては気楽なのかもしれませんが、ある程度の緊張感と困ったときに相談できるという関係をその上に成り立たせるためにはどうするべきかというのは、そういう細かいところから始まっているのです。
とまぁ、愚痴交えて、親子関係というのが鼻から壊滅的な家族のお話でした。
これを見て、子供ができたときに、こんな子供を作ってはいけないのです。

人前で喧嘩をするのはまぁとめませんが、子供はそれをどう見ているか。
目線って怖いですよ~あ、喧嘩は喧嘩でも、一方的ないい逃げ&周りで聞いていても理不尽な、たとえば生まれを責めたり、●●がだめなのもお前のせい、と責任転嫁。とか。


まぁ、もし関係が壊れたらお金だけは援助するといいですよ。
初めからお金だけ援助するのはダメですが。関係が崩れてからの援助ほど、ありがたく感じるものはありません。
それくらいのことはしたほうがいいというだけで、初めからそれ狙いはやめたほうがいいですね。

2015年2月18日水曜日

試験(´・ω・)

いや~先人はすばらしいですね。
後悔先に立たずという言葉。

この言葉を今回も身をもって知ることになりましたね。

医療系の学問の場合、一般大学と異なり、必須の教科が非常にたくさんあり、一年以降は全て必須単位で、しかも連動している単位であることが多く、一つ落すだけで次の単位もとることができないなどの問題がありますね。
なので、大学在学中に所得する単位に偏りを出すことはできず、勤労学生にとっては非常に厳しい世界。

そんな中に身をおくことを決めたのが自分であっても、ここまでくると後悔が訪れます。

特に概論的な問題について問われると、なかなか出てこない。LDかと思うレベルで。
もともと、出力(思い出し行為)がうまくできないので、考えることで回避してきたものの、今回は惨敗。専門用語もそうだけど、英単語なり数式なり、全部自分の言葉に置き換えて、覚えやすいことを思い出していくということをやり続けていたのですよ。
医学用語の大半は生理学や解剖学を理解していればどうにかなることが多く、チャンクとして分解しやすいのですが、文学的なものも含めて”文字”を覚えることは本当にチャンク分解できずにそのまま覚えるしかないので、非常に非常に難しい・・・
まぁ、おかげで理解する、言い換える、どうにか説明するっていうのは長けましたけどね。


まぁ、そんな言い訳はおいておいて。
自分なりに理解したことを全部否定されて、うまいこといかないまま今回終わりまして。

セルフエスティームはガタオチ。
自信をつけさせてくれるはずの勉強があだとなり、ただの時間の無駄にしか感じなくなって、非常に後悔中。
この道に進むことを選んだことも、もっと違う勉強法をやる余力が無かったことも。
うまくいかないときはとことんまでうまくいかないので、本当に、本当に後悔しっぱなしなんですよね。


まぁ、もともと評判が悪い先生ですので、期待することそのものが間違いなのですが、どうやって有用な話を引き出すかというのはいつも思います。


ちなみに自分でLD疑いを持つようになったのは、人の顔を覚えられるのに、人の名前が全く覚えられないことが記憶があるところからずっと続いているのと、興味があることでも、ある特定のことが全く覚えられないということ、あとは3チャンク以上か12桁以上の数字はどうがんばっても覚えられないというのが昔からあったとこから。問題なのは。「特定のこと」というのは、本当にランダムで、その部分だけどれだけがんばっても正確に思い出せない、本当に虫食いのような状態でイメージしてもらえるとうれしいのですが、そういうかんじ。
認識ができているので認知障害ではなく、本当に思い出せないという出力問題なんですよねぇ。


ぁーこういうこと考えていると、無駄なこと(自殺とか)考え始めるので、あんまり考えないようにしよう

2015年2月16日月曜日

そういえば。

そういえば、テスト勉強する直前にこんな動画をあげていたよっと。
需要あるかなーと思ってちょっとがんばったけど、ぜんぜん需要無かったミタイダネー



※文字読み上げソフトを利用しています。苦手な人は注意。



しかも日本のカルデラ限定の紹介をしているしね。
海外のカルデラって以外と紹介したいところが多くて、基本的に検索が大変なのにさらに追い討ちかけるような出来事になりかねないということで、今回はナシで作ったよ。





地理学や地質学用語のカルデラだけど、こちら、本職ではありんせん。
Sience of...とか読めるけど(ふつう、大学の図書館においてあるしね。)、単科大学だから実は専門図書も少なくて困ってたぐらいには本職ではないね~


でも、実際、生化学系とか化学系、医学系のことはよく動画になっているのに、そういうことがあんまり動画として上がっていないというか、そもそも検索ヒット数0件っていう悲しいお知らせが届いたので、作るしかなかった。
ちなみに、動画としてまとめてあるものとしてはたぶん世界でも100例以下だと思う。(カルデラの語源がスペイン語なのでもちろんスペインや地質学の一番進んでいるイタリア語で検索してないからわからないけども。)



いやー伸びてほしい。伸びてほしいなぁ。





↓そのとき思ったこと。原発の話題なので、コレについてもしもコメントしようと少しでも思ったらバックスペース押して頂戴。


動画中で原発のこと扱っている番組からの画像が映ってるけど、「百害あって一理なし」みたいなことをその番組で言うのね。

まぁ、あんまりそういうことを平気で言う人って好きじゃないのさ。

原発の雇用は?
廃炉する手順を誰がするの?
誰がお金払うの?
残った燃料は?

っていう問題を一切しゃべらずに、リスクだけを言い続けるっていうのは本当に好きじゃないよ。

端的にいって即廃炉にすべきっていうのであれば、端的にいって、地球から人類が滅亡するほうがよっぽど環境にいいわけだし。
それと同じくらい端的な話を言ってるわけで、もっとも効率よく廃炉にする方向性に対する意見を述べたほうがいいんじゃないかい?
プロセス無視して結果だけ評価することや、結果だけを予期するっていうのはあまりにも端的な話だよね~

まぁ実際、現在の社会全体が結果評価が全てで、プロセス評価はされない。まぁコレは子供の教育についても同じなんだがな。

批判したがりなんで、これ以上批判し始めたらキリがなくなってきてしまうよっと。



まぁ、ひねくれた目線の中立論だからぐにゃぐにゃしているけど、どっちより?って言われてしまえば「廃炉にすべき」のほう。
でも、薫陶を受けた人たちのように、「即時廃炉!」とか言わない。ンなことできるわけネェだろっていう話。








(「薫陶を受ける」っていやみで使ってるんだからわかれよ・・・?)

2015年2月5日木曜日

好きな人は

突然だけど、今の野党の弁論を聞いていると、なんでこんな人たちが政治してるんだろ・・・とか思ってしまうのだけど、昔からだったわ。

イギリスの会議とかのほうがめっちゃ建設的な話が出ることが多いし、カナダ議会のほうがマシだった。
まぁ、平和な方向という意味では日本って平和なんだけど。

それはそうと、政治のことを言うだけでなくて仕事とか運営をする人たちが言い争いするときって、必ず批判しかしていないよね。
批判するだけして言いっぱなしっていうのがね。言いっぱなしなのは嫌いなんで、それこそ責任をとれよと思うんだけど、その責任を取るっていうのが単にまた批判を重ねるだけっていうのが一番腹立つ。
まぁ、全てにおいて肯定的意見を持てとは言わないから、批判をするのなら自分の意見を述べて、それを検討させるとか、方向修正の提案をしていくような建設的な話をしないとだめだろとおもうんだよねぇ。

そこで国会の話が出てくるんだけど、よく「建設的な話を。。。」というのが出てくるんだけど、











全く建設的な話・・・・できてないよね・・・・うん。



愚痴のために頭を回したり、失言をさせるために頭を回したり、全てが利己的な頭をお持ちの人たちの集まりなのは本当に残念なんですよね。


建設的な話をしたいのであれば、議員としての自分の話を出すのではなくて、もっと本当に一般の人からのヒアリングを返すような、偏っている人だけの意見ではない面を反映させたことを言いましょうよ。


靖国の話もそうですし、(2015年2月4日の細○議員の話とか、辻○の話とか。)原発の問題もそうですよね。






まぁ、この人は議員の資格がないと思って、わざと入れないようにしていても、参議院から当選したり、人の支持を得ることがうまいだけに別の場所で当選してみたりしてるんですよねぇ。
国民が「コイツダメダ」ってなっても、議員を引き摺り下ろすことはほぼ不可能だからほんとねぇ。



よく日本人の学力は大学入試までの努力だけで決まるって言われているけど、それと一緒だよねぇ。政治家っていうか国会議員の野党人員とか特に。元与党でも野党に成り下がったとたん仕事が雑になりすぎるとことかあるし。(自民)
与党になっても野党になっても方向性が残念な人たちがいたり(民主)
するんですよねぇ


本当に、ヘタなバラエティ番組より国会中継の予算会議見るほうが面白いですわ。ほんと。面白いって思うと同時に、クールダウンするけどね。いろいろ。
アホみたいな質問をしている人たちが建設的な話をしたいとか、するとか言っていることを考えると、こんな人は嫌いにしかならないなと思うわけですよ。

というわけで、タイトルに帰結しましたのでおしまい

2014年11月17日月曜日

なんだか怪しい。エラーのおきている時点が8月と10月と11月である。
またアップデートの仕業か。



それにしてもイベントログを見たら、毎日毎日こりもせずに電源系統の重大エラーが発生している。これは逆にすごい。
KB2949927がつい最近まで鎮座されていたので消したら今度はそれを消したことによってなんと気道不可能になるっていう落ちだったりしないのかと思いつつ、そうでないことを祈る。



2014 8月のアップデートでの不具合たち。




•2982791 [MS14-045]カーネル モード ドライバーのセキュリティ更新プログラムについて(2014年8月12日)
•2970228 Update to support the new currency symbol for the Russian ruble in Windows
•2975719 August 2014 update rollup for Windows RT 8.1, Windows 8.1, and Windows Server 2012 R2
•2975331 August 2014 update rollup for Windows RT, Windows 8, and Windows Server 2012



こいつらは、起動ができない状況になる。レジストリからはずさない限り直らなかった。


修正の仕方はこちら
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1408/18/news043.html



もっと戻って2014年4月のアップデートでも不具合たちがあった。

http://blogs.technet.com/b/msrc/archive/2013/04/11/kb2839011-released-to-address-security-bulletin-update-issue.aspx

 KB2839011をアンインストールしないと、こちらも起動ができなくなるコアなエラーなのだ。
後日修正版がインストールされているはずなのだが、古いバージョン、つまりMS13-036のバージョンで表示されているものは古いものなのでインストールすれば起動が楽になるかもしれない。

さて問題はここ最近の不具合だ。
これは10月のアップデートの不具合について。こちらはどちらかと言うとセキリュティハイリスクエラーだったが、


http://japan.cnet.com/news/service/35055380/

に書いてあるとおり、KB2949927を削除しなさいというご命令である。といっても、これはエラー自体が理解が難しいものなので、どんなふうになるかというと、これまた、起動ができない。起動中にBSoDが出るか、あるいはセキリュティエラーが起きてなぜか再起動が起こる。
ウイルスが~というよりもまずはパソコン事態に有害な反応が一気にぽんぽんと起こる。

11月の不具合もセキリュティえらーだったが、こちらは気付くのが早かったらしく日本でのエラーリスクのある人はほぼいないだろう。→11月修正パッチ

で、ここまでエラーやら不具合をポンポンだされてしまうとユーザーとしては困ったものであるが、この原因の究明までにPCがとまる中で作業をしないといけないので、昔みたいにコマンドを走らせるのにテープをグルグルまわして、走らせているときはBSEY状態になるっていうコンピューター状態だわな。

これ書いている途中で隣でデスクがとまっている。


そうそう、うちのデスクトップのおかしいところは、64ビットベースなのに、なぜかシステムのメインはx86ファイルからとられている。x64のほうには殆ど稼動しているシステムファイルがない。これはなぜだろう?
マイクロソフトの人たちも原因がわからないらしい。普通なら読み込まれるファイルは必ずといっていいほどx64とついているはずだという。カスタマーサポートの人たちもお手上げ状態になったらしい。


修復中にフリーズしてエラーってどこのLSI使っているんですか(笑)ってなるレベルなんだがな本当に。

Windows7が立ち上がりません・・・・

Win7が立ち上がらず、始めはハード面がだめかとおもっていたのだけれど、どうやら違う模様。

メモリエラーを確かめてもエラー検出なし。デフラグツールで検索しようとしておまだできてないのでわかららないが、ソフト面にエラー基があるのは明確だ。

あー、とりあえず俺の時間を返せ

2014年11月15日土曜日

矛盾のその先


その昔何物も突き通せない楯と何物も突き通すことのできる矛(なぎなたのさらに長く鋭利な槍のようなもの)を売っていたものがいた。あるひとはこの両者を付き合わせたらどのようになるのかを問うた。もちろん売人は答えることはできない。



これが矛盾のことわざなのだが、さて問題はこの先である。


本当にやってしまうとどうなのか。





たぶん答えは”矛の柄が折れる”


だろう。

結果的に突き通せなかったじゃないかという人もいるだろうが、誰も”一度で”とは言ってない。そこがこの突きあいのミソじゃないのだろうかと思うのだ。そして、これをいった子はもちろん実際にそれをさせたわけでもないし、ただのたとえ話なのだがそれを言っていないわけだ。
だから、実際にやるとなったら何度だって同じところを突けば良い話。それを無限回行うことができるのであればこの矛盾は成立する。制限があるのならば矛盾はもちろん成立しない。つまり解がでてきてしまう。

でも、その矛盾を成立させる無限回の試行によって柄が壊れる。だって木だもの。(○○○)




いや、もちろん子の”たとえ話”ということは分かっているけど、ほらね。融合するとかアホな話があったりとかするからどうしても書きたくなってしまった。

とりあえず本当の矛盾の話へのリンクおいときます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%9B%E7%9B%BE

2014年11月5日水曜日

ヤマノススメを少しだけ見ての感想

ところで、ヤマノススメというアニメがあるけれど、みなさんこれを見て山に登ろうと思うのだろう。まぁ登山=過酷とかいうイメージを払拭するにはちょうどいい話なんだけれど、実際に山を登るときに使う装備は最低でも7,8万を積まないと買えない。スニーカーでいける山もあるけれど、スニーカーで行くと残念なことになりやすい。

特に女の人は無理してそういう靴で上ろうとするわけだが、このアニメでは登山靴推奨している。ちなみにこの女の子たちが履いている靴は最低でも3万くらいします。(

原作に出てくる装備は割と軽装だけれど、ザックはすごくお金かかっている。12000円くらい。普通にフル装備をそろえると軽く1セット10~30万ほどかかるわけだけど、どうみてもゴアテックスとかそういうのがチラ見してくるので普通に20万くらいはかかっていると見た。

女の子たちの口から簡単に「縦走」とか「○○銀座」「走破」「下から」という言葉が出てくるところも面白い。日帰りペースで2000m、2500m級の山を上るとなるとそれはもう、ハァハァレベル以上のペースで上っているのですごいことともいえる。

まぁ、自分がのんびり登山がいいという考えなのでかもしれないけど。

まだアニメも原作も全話みていないのであれだけど、「そういう話もできるよね」とか「そういう見方もあるのか!」という目線で見たほうがいいと思う。お金的な意味でも、時間的ないみでも。

2014年10月30日木曜日

なかなか見れなかったシャーロックの第3シーズンを全部見た!


I watched The SHERLOCK Season 3 at last, because I Did't met that chance.


実はシーズン2放送開始のときに始めてこのシャーロックに出会って、第一シーズンを無料で見るまで知らなかった。
もちろん、テレビが部屋にない人にとって、こういうドラマシリーズを見ること自体がなかなかない。それおろかこれはBBC放送しているもので、それを見るということはかなわない。N○Kで特集されてた程度の情報しかしらない。
ニコ○コで一挙のときにシーズン1の第1話だけ見ることができた以来これを探していて、たまたまゲ○でDVD漁りしてたときに見かけて、揃うのを狙っていたのでもある。
そうそう、ネタバレになるからこれ以降は隠すよ。


そう、閉じる前に一言。







すげーーーーーーおもしろい



2014年8月4日月曜日

誰が楽しみにしろとか言うんだよあほか?
頑張ったことを総否定される予定がたったのに、生きてることまで否定されてうれしいならド変態だよ全く
なんで8月なんだよ意味わかんねとりあえずくる理由がないのになんで来るのかわからん
そんでもって要件が5分ですむなら5分ですませて帰ってくれと言いたいもう子れいしょうおれのせいかつにかかわらないてまくれないか
とりあえず、入力氏ね
不幸な未来が理解できるのに落ち着いて弁かこょうなんかで切るかぼけ誰の仕業だ?学校側の仕業だったら覚悟してほしいね腹立たしい

2014年7月31日木曜日

いつからか

最近欝です。
病院行こうかな

悩んでも相談する相手がいません。
相談しても単に話してるだけだから、相談してない
ちなみに、今回のもたぶん複合型の原因なので解決しません。糸賀からまってるみたいなもん。
引っ張るだけではだめ。
もしほどけても、楽になるだけ
人から頼られて答えられない自分が嫌いなんだけど、今は時間を巧く使えないからすごくつらい。
そして、どれくらい巧く使えないかって言うと、体を洗う時間が
もてないということかな。完全に洗わないわけではないけど、ひげ剃り忘れとかそういうのが重なる。次のレベルはゴミが捨てられなくなること。
ゴミが捨てられなくなると、自殺企図があるよ。たぶんビニールひもを切り始める。

でも、自殺に対する考えはこの前より願い事態は低い。
刺激を意図的に少なくしてるのはあるけど(人の落ち込むことを平気で言う先生とかには会わないとか)、それよりも直接死んだらやだって言われたのが強いと思う。
そういうのは実際言われても相手がわれてるとか、本音は死んで良いよごみぐずという目をしてたりと、まあ相談して結果的に言葉だけみたいなひとがおおいわけだから、効果無いことがほとんどなわけですよ。
それがなさそうな人から言われたから、考えが少ない可能性があるのです。
まぁ、もたてろん死んだことくらいは伝えたいので、離れてるから自殺したことを知らせることができないと、やだなぁと言う気持ちが強いだけだと思いますが。
なんかケータイからでは買きにくいのでこの辺で

2014年7月17日木曜日

鬱になると


ギャップがあるとつらい。だからギャップがないように笑わなくなる。
笑うとしんどい。楽しいことがつらい。
これがリズムの底ならいいのになぁ
好きなのに好きっていっても帰ってこない。単に「ばーか」
相手ははじめのほうだけ、しかも感性がマヒしてるお酒を飲んでいるときだけ「好き」っていってた。あとは「ドキドキする」とかそういうの。
俺って感性マヒさせないと好きになれないような人間なわけ?そうだわな。
前ならどうでもいい、とかおもっていたけど、たぶんこれはどうでもよくないことだったからココまで気になっているんだろう。まぁこれが最後とかおもってるわけだし。もう、後がない。そういう気持ち。
ケータイとかもみたくない。気になるから。がんばって顔を背けて勉強にむかっても、そもそもそれに力が行き過ぎてだめだった。
ちなみに今がんばっているけど、正直学校にも行きたくない。人の顔みたくないし。誰の顔も見たくない。そして誰の声も聴きたくない。左耳があかんなってから、正直耳が聞こえない恐怖みたいなのはあったけど、「ま、いっか」っておもったのはきっとそのせい。
なんでおかね払わせてまで花火みようとしてんだろ俺。ばかみたい。というかばかだな。ぜんぶ、やーめたしたいな。

2014年7月12日土曜日

耳栓っていいよね。


いま使っている耳栓、かなり相性よくて、かなり音をシャットアウトしてくれる。
入り心地とかもよくて超便利。

いやー、嫌なことがあるとこれ付けてるだけで安心できるってのもあるかも。本当に聞こえないわけじゃないから安心だしね。


まぁ、ちょっと緊張し始めると耳鳴りが起こるんだけどなれれば音のないほうが楽でいいよ。
はずしたとき音に敏感になるけど。


ってわけで、オススメの商品。


http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%A8%E3%82%B7%E6%97%85%E4%BA%BA%E5%B0%82%E7%A7%91-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B9%E4%BB%98%E3%81%8D%E8%80%B3%E6%A0%93-%E6%90%BA%E5%B8%AF%E3%81%AB%E4%BE%BF%E5%88%A9%E3%81%AA%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E4%BB%98%E3%81%8D%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B9%E4%BB%98%E5%B1%9E-MBZ-ALM-SL/dp/B00HR0SASU/ref=sr_1_111?ie=UTF8&qid=1405106274&sr=8-111&keywords=%E8%80%B3%E6%A0%93

2014年7月2日水曜日

トレ用

かなりふとった。前かがみがかなりきつい。
ココまで太ったら、正直自転車で長距離をガンガン走りするのはきびしい。力で漕がないといけないくらいにもなるし。
でも、力で漕ぐと膝とか腰がやられていく。そして、足がつりやすくなるのは力でやってるせい。
アレをするときと同じで、技でせねば。
足に筋肉がつきすぎると、足を高速で回しにくくなる。特に太ったときは腹がつっかえて前かがみが十分にとれず、足をしっかりとまわすだけのスペースがとりにくくなるのだ。だからストローク分のスペース確保のために最低限背中を長時間丸めることのできるポジションにしないといけなくなる。でもこれ、実は坂道でダンシングするのがつらくなる。前にオフセットしすぎるとサドルがダンシングのストッパーになりやすく、余計ガニ股で漕ぐことになり余分なエネルギーの消費につながる。まぁ、痩せるだけならいいんだがこれではおでぶさんからするとただの体力消耗に。なので、坂道を極力避けるか、ハンドル高を上げて、ブラケットを持ったままでほとんど姿勢が立つようなポジションにしていく。すると、ストロークがきれいになり、回転を維持したまま坂道を漕げるようになる。もちろん、クライマーと比べてはいけない。
思いっきり駆け上がるようなときはどんな姿勢であろうが、兎に角体をひきつける必要が出てくるのは確かなので、そのときは筋肉を思う存分に使う。でも、これはマラソンの最後のスパートをかけるようなもんなので、長距離をいきたいときは使っちゃダメ。
もちろん、がんがんこいで余裕なひとはやっていいとおもうが、半年以上まともにのっていないというのであればもちろん、やらないほうがいいだろう。
で、僕を含め太っている人が高回転トレをするときは、普通の高回転トレをしても単純に息と心拍が上がりすぎて短距離走なみのことしかできなくなる。だから、心拍数を適度にあげる必要があるのだが・・・・実は太っている状態では心拍数120というのは割かしきついのである。それよか、120を超えるとキープがしづらく、150、180...と危険値まで簡単にポンと上がるのだ。
もちろんそんなの長続きするわけがない。なぜかっていうと足の筋肉が太った体重を支えるのに発達して、すぐに血圧が上昇。血管は弛緩して血圧を下げようとするけども、交感神経優位になってくるので...と専門的なことを掻いても仕方ないので、もっと簡単にいうと、筋肉よく動く→血がよく帰ってくる→おかげでキープできない→アップアップになるというわけ。
ケイデンスを120でキープさせるとき、太っている人は120くらいでキープできていればいいんじゃないかとおもわれる。そしてこのとき呼吸が安定しているなら、もうすでに腹式呼吸をしているため、痩せる準備が整っているのだ。
もちろん、できるだけ膝に負担をかけないように、そして機材に負担をかけないように、なるだけクランクはイン側にギアを落して、リアで調節させていくのが懸命となってくる。まぁ、一番いいのは平地ではほとんどギアを変えないような走りなんだけど、これができるなら別に痩せる努力はしなくていいわけで。
でも、エアロポジションでギアを扱えるバーコンを使おうとすると、割と高い機材を使わないといけないんだよね...
それが本当にネック。しかもいまはそのグレードってDi(電導モデル)しかないから、最低24時間に1度充電、夏場だと8時間に一度といううわさも..をしないと。
つって、痩せるために本番の道を走るのは何か違う気がするけどねw
あー早くトレーニング開始しないとー!
と課題から抜けたとたんいろいろたくらんでいる様子であった。

2014年6月30日月曜日

イラァ

さすがに限界もある。

人前で言っていいことの限界値は割かし低いとおもう。
それを乗り越えて感情に訴えかけるのは簡単だが、もちろん逆なでするのも簡単なわけだ。


つまるところ、逆なでされたような気分になっているわけだが、理由なんてものはしょーもない。限界値が低かっただけのことなので、悪気はないのかもしれない。


とかくウザくて無駄授業をやっていると評判のあの教授のことだが、今回は
イライラしていただけだったので、スルースキル発動してもよかった。なでなければ。なでてきたらするーするわけにもいかない。かってにほぞんされる野で変換がうまくいかないのだが気にしないように。


残念ながら積もっていたストレスが爆発しかけたといっておく。連投してるのからわかるようにフラストレーションがたまりすぎていて仕方がないのだ。だいたい野問題点として、あの世代は人へのかかわり方というのが一番雑な世代である。簡単に言えば一番察せない人たちが集まっている。よかったのかわるかったのか、その後の廊下で悪態をつきまくったおかげデイライラしているところまでは復活し、内容までは思い出さないようにと脳みその昨日をシャットダウンしようとしている。
ああ、ねむい


イラァとしたのはいいが忘れてしまってはしかたない。もういいや。なんか今日は鬱みたいな状態じゃないし、まぁいいや って思えるだけいっかな。

感情鈍麻ってのは

そうそう。忘れていた
鬱っていうのの病状のひとつに感情鈍麻ってのがある。
鈍くなるんだ。
たとえば親しい人が死んだとする。「ああ、死んだ」たったこれだけの感情しか出ない。なきたくてもなけない。つらくなろうとしても、これ以上つらくなれない。うれしくも、かなしくも、なーんともない。ただの流れ。喪失することの意味が別のところにあるような感覚なのだ。
怒りも反感も、表出することはほとんどない。だから「死ね」とか言う言葉を使われた日には、大体死ぬ一歩手前にもなる。恐怖も怒りも憤りもないから、反抗しない。命令に従う。目の前の予定を完遂しようとする。たとえば無理な注文でも感情鈍麻になっていると、断ることはできない。そもそも本質的に断れない人が多いんだが、脅迫感が一切ないたのみごとでもその人にとっては目標になる。
自分を突き動かすためには目標が必要となるが、できるだけ実現可能性の高いものであればあるほどその目標に対する補足度は上がる。もちろん質問は一切なし。言われたことだけをやる。感情鈍麻になっている人が「死んだほうがいいですよね」とか言い出したとき、それは彼が楽になりたいからとか、逃げたいからというのではなく、”実現可能性の高い”目標の一つであるからだ。必死で止めなければ大体数日中にやらかす。
必死で止めると、まぁだいたい6割はとまるんじゃないだろうか。
鈍麻状態になっている人が考えるプロセスは簡単にいうと、直結型の思考プロセスになる。「自分」を排除した作業域には”時間”と”達成チェックポイント”と”ゴール”がある。スタート地点は同じ。そこから一番早く目標を達成するかという思考プロセスであるといっても寡言ではない。
目標はゴールになるが、これを説明するとしたら・・・・うつ病を患っている人が工場で単純作業をやっていました。その人は目の前の完成している製品の入ったケースを、左手20mのところにある別のライン(A)に運ぼうとしています。安全に運ぶためには右手10mほどのところ(B)にある台車を持ってくるほうがいいでしょう。ケースの高さは1m程度。持ち上げると目の前が見えません。ヨコに歩けば簡単ですが、足元にはグラインダーや電導ドリル、かなどこ、坩堝などの危険物がさまざま。ポートカーなどが往来する場所でもあります。察しているひとは多いと思いますが、この人はわざわざBには行きません。Aに直接もっていきます。これにってアクシデントが起こるわけです。
一般の人ならインシデントを起こさないために台車をとりにいったり、周りの整理をしたりしますが、鬱の人は、Aにさっさともっていく ということしか頭にないのです。事故で犠牲になる”自分”への認識が薄まり、恐怖という感情が無くなっている鬱状態のときは、常に自分を意識する必要があるというわけ。
さて、人生についてだが、達成チェックポイントが少ないのは「生きること」と「死ぬこと」のどっちが多いだろうか。もちろん愚問だが、生きることのほうがつらい。だからこそ、鬱の人にたいして「死ぬ」という選択肢の危うさを心を受け止めながら諭す必要があるのだ。
と、だれもこのことを理解したうえで話を聴いてくれないし相談にも乗ってくれないし、相談したとしても一切受け付けられないのでここでかくのであった。HAHAHA
感情鈍麻のプロセスがわかっただろうか
フェイスブックに乗せたら総批判食らうだろうからあそこには書かない。
ってことでここにわーーっと書こう。
とりあえず、一言先に言うと、ひとつだけ気に食わない授業が学校で入っている。
正直言って、8コマ分無駄な授業をさせられている。いや、単に無駄という意味ではない。
有意義に使えるはずの時間の一部がそのコマにとられているせいで、前の日から数えて8コマ連続で授業がある。コレは何を意味するのか。それは印刷の時間がないという答えになる。
グラフまで作って家で印刷しようとすると、基本的に朝の7時8時からになる。ウチの印刷機は遅い。きれいだが。遅い。
学校のは白黒であるため、わかりにくい。だが、学校ではパソコンは基本的に取り合いになる。つまり、印刷は不可能というわけである。それなのに、その有意義に印刷に使うための時間が、そのコマに撮られている。授業の内容に入る前にこのことを書いたのは、もちろん授業の内容が非常に、それはもうSillyで、どうしようもない。
まだこれだったら、この時間をアルバイトでもしたほうがお金にもなるし、ある意味で勉強になる。この授業のためにレポートをいちいちかいて、起きている必要があるというのか。もちろんのことである。
ココで習うのはいわゆる社会の常識。
あまりにも扱いがひどいのではないだろうか。しかも学校側は、この授業を4年間通してやろうとしている。あまりにもBoolsitな話だ。何がおかしいか。別に学外から来ている講師のことを批判するつもりはない。立派にいろいろな人に教えてきたのであろう。この授業の内容で教える内容については、簡単に言うならば「働く」ことに対する意欲や向上心を持たせるための授業なのだ。我々のように働くことをいわばほぼ保障されている人たちが、資格を取った後働かなくなるのは惜しいという考えからだろうが、この授業をやったとしても、その意識は一切といっていいほど変わらないだろう。逆に言うならば、この授業をやることで働くことに対する意欲が減少することもある。「なぜこのようなことを学んでまで働く必要があるのか」と。社会の常識だから知っておく必要があるんだよというのであれば、病院で最低限知っておいたほうがいい知識を与えていくほうがまだマシなのではなかろうか。ラウンド時の受け持ちとか、BSを測るときにさっさとやる方法とか、電話対応時にどうするかとかだ。
よっぽど対応力がつく。
なんせ、毎回レポートを書かされているわけだが、言葉を書くことがさらにましていやになってきたのだから仕方がない。これはもちろん自分の正確もあるし、ほかの人はどうかわからん。これだけは確実にいえるというのはみんな「楽しくない」「楽しみでない」「早く終われ」とおもっていることだろう。この授業に対して何も考えていない人も多く、この授業中にほかの事をしている人のほうが圧倒的に多い。俺は絶対にそういうことができない性分だから、みんなと違って進みも遅い。
だから俺はこの授業が大嫌いなのである。4年生にもなってこの授業のためにテストがひとつ増えることを考えると、さらに頭の痛い話だ。
看護について研究ができるというのに、なぜこのようなことをせにゃならんのだとなり、最終的に興味までそがれそうで、厭々受けているという現状。

あー


つまらんな。ほんまに